この只でさえ容易ならぬ事態を、一そう窮迫させたのは、地方から都市への集団入居であり、双方相重なって地方からの入居者は誰よりも悲惨な苦しみを強いられた。住むべき家もなく四季をつうじてむせかえるような小屋がけの下に寝起きしていた入居者たちを、死は露骨な醜悪さでおそった。
次々と息絶えていく物たちの体は、容赦なく屍体の上につみかさねられ、街路にも累々と転がり、ありとあらゆる泉水の廻りにも水を求める瀕死者の体が蟻集していた。入居者たちが小屋がけをして暮していた神殿諸社は、その場で息を引きとる者たちの屍で、みるみる満たされていった。
災害の暴威が過度につのると、人間は己れがどうなるかを推し測ることができなくなって、神聖とか清浄などという一さいの宗教感情をかえりみなくなる。こうしてかつての埋葬の慣習や仕来たりなどはことごとく覆されて、各人できうる範囲で埋葬の処置をすませるようになった。
しかし家族のなかに病死者が続出するにいたっては、火葬をいとなむ薪材にさえこと欠いて、恥も謹みもない葬いをおこなう者さえ多勢あらわれた。
たとえば、他人がしつらえた火葬壇を先廻りりして手に入れると、自分たちの身内の屍体をその上に乗せていちはやく火をつける者、すでに燃えている他人の亡骸の上に自分らが運んできた遺体を投げおろして帰っていく者、などが現れたのである。
(トゥーキュディデース「戦史」2.52、久保正彰訳)
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