〔戦史1.39〕
(略)
アテーナイ人は民議会を招集し、自分たちの間で意見をのべあったが、この際一切の問題についてかれらの態度を最終的に決定し、相手側に返答すべきである、ということになった。そこで大勢の市民らが登壇し、ある者は開戦の是を説き、またある者はメガラ禁令のために平和を乱すな、これを解除すべきである、と和戦両論が繰りひろげられたが、そのときクサンティッポスの子ペリクレースが登壇した。かれは当時のアテーナイでは第一人者と目され、弁舌・実行の両面においてならびない能力をもつ人物であったが、次のごとき忠告を与えた。
〔戦史1.140〕
「アテーナイ人諸君、私の言わんとする主張はつねと変わりない。ペロポネーソス側にたいして一歩も妥協してはならぬ。もとより私も知っている、人は開戦支持に傾くときには一つの感情に支配されるが、戦が始まってみるとまたべつの感情に動かされる、そして事態の推移とともに判断も変っていく。ともあれ現在、私としてはふたたび今までと同様同一の見解を諸君に呈すべき立場にあると思う。諸君のなかで私の意見に承服する人々の義務は、万が一われらが蹉跌することがあっても、共に計り共に決議した政策をあくまでももり立てていくこと。さもなくば、逆にわれらが勝利を克ちえた暁にも、それをわれらの知の結集として誇ることはできない。なぜならば、事件の推移・戦場の勝敗はつねに知性によってははかりがたい低迷をたどることが知られている、すくなくとも人間の考と同様あてにはならぬ。われらが知性によって予測できない事態に出あうと、これをみな運命の力に帰するのもそのためである。
(略)
〔戦史1.141〕
されば今ここで諸君の決心を要求する。身に害を蒙る前に屈服するか、それとも、私がよしと判断するように、戦うか、そして若し戦うとすれば、原因の軽重のいかんにかかわらず妥協を排し、汲々たる現状維持を忌避する態度を決して貰いたい。なぜならば、対等たるべき間柄の一国が他の国に、法的根拠もない要求を強いれば、事の大小如何にかかわらず、これは相手に隷属を強いるにことにひとしい。
(略)
〔戦史1.144〕
(略)
戦争は不可避であると覚悟せねばならぬ、そしてわれらが進んで敵の挑戦に応じるならば、敵は進撃の機をそがれる、また存亡の危機を克服することによってポリスも市民も、不滅の栄光を克ちえられるのだと、決意をあらたにすることを望む。思えばわれらの父はペルシア勢の進撃を迎えて、今日ほどの蓄のある基地を持っていたわではない、それどころか一切の家族をもすて、遇倖でなく作戦を、戦備ではなく胆力を頼りにしてみごとペルシア勢を撃退し、アテーナイを今日の大にみちびいた。父に劣ることがあってはならぬ、ただ全智全能をつくして敵を撃破し、いやまさるアテーナイの力をわが子らに譲り渡すべく努めねばならぬ。」
〔戦史1.145〕
ペリクレースはこのような発言をおこなった。アテーナイ人は、かれの忠告を最上のものと考え、かれの提案を可決した。
(略)
トゥーキュディデース著、久保正彰訳「戦史」(岩波文庫、3巻、1966)
ペリクレス
〖Periklēs〗
前495頃~ 前429 古代アテネの政治家。貴族会議の権限を奪い民主的改革を断行,デロス同盟への支配力を高めアテネの黄金時代を築いた。
ペロポネソスせんそう
【 ━ 戦争】
紀元前431年から前404年まで,アテネとスパルタがギリシャ世界を二分して覇権を争った戦争。スパルタの勝利に終わったが,ギリシャ全体の衰退への転機となった。
(三版大辞林)
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