2013/09/20

裕福なコリントの若者ーーーあるいは短いobituaryと長いepic

「ハルパリンが討たれたのを見て、パリスは激怒した。数あるパラゴネス人の中でも、彼には特に親しい友人であったからで、その死に憤激したパリスは、青銅の鏃の矢を放ったのであるがーーーここのエウケナルなる者がいた、占い師ポリュイドスの子で、裕福で勇気もあり、コリントスに住んでいたが、恐るべき死の運命の訪れるのをよくよく承知の上で、海を渡りこの地に来た男であった。それは常々彼の立派な父、老ポリュドイオスが、お前は自分の屋敷で辛い病いのために身を弱らせて死ぬか、またはアカイア勢の船陣トロイエ勢に討たれるか、そのいずれかである語っていたからであるが、されば彼は辛い想いをするのが厭さに、アカイア方から取り立てられる罰金と、苦しい病のどちらをも避けようとしたのであった。さてパリスはそのエウケノルの顎と耳の下あたりに矢を撃ち込み、たちまち命は彼の肢体を離れ、忌まわしい闇が彼の身を蔽った。」

 (イーリアス13.660〜672、松平千秋訳)




先日、金井美彦氏のよる発表「預言と祭儀と黙示の間ーーーヨエル書の特異性について」(9.30、聖書学研究所例会)を興味深く拝聴しました。

  レジメの最終節の冒頭に次のような一文があります。

「ヨエル書は多層的ないし重層的な文書である。それははじめ預言の形式をとりつつも、やがて祭儀的行動を促す祭儀マニュアルに転じ、最後はあらためて未来の活動を促しつつ現実を耐えしのぶ黙示的文学へと展開する。
(中略)
この文書は聖書文学のシミュラクール、つまり聖書全体を暗示する小さな範例、モデルのようなものであると考えられるかもしれない。・・・」


シミュラクールという言葉のこともボードリヤールという哲学者のこともわかりません。

  神々が課した運命を引き受けるこのコリントの若者についての小さな死亡記事が16,000行におよぶイーリアスの範型となっているのかもしれません。

  アキレウスの予型であるかもしれないエウケノルは、ただただ殺されるためにのみ登場します。イリアスではこの一カ所にしか現れないので、松平訳では固有名詞索引の見出しにもしてもらえません。

コリントから出征した若い武将の運命を伝える記事を読みながら、そんなことを考えました。



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