2013/12/31
2013/09/24
コンスタンチン・パレオロガスあるいはオタンチン・パレオロガス
コンスタンチン・パレオロガス
ビザンチン帝国最後の皇帝、コンスタンチン11世。
(1404ー53、在位1449ー53)
マヌエル2世と
ヘレナ・パライオロギナの子。兄の死後、ミストラで即位。王冠はヴェネツィアに質入れしていたので戴冠式はできなかったという。コンスタンチノスでスルタン、メフメト2世の攻撃により、死亡。城の壁とも大理石ともなったと伝えられる。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以下は、大辞林第3版(2006)から。
おたんちん
もう少し長く用例を引用します。
(前略)
「山の芋が一箱」
「山の芋まで持って行ったのか。煮て食うつもりか、とろろ汁にするつもりか」
「どうするつもりか知りません。泥棒のところへ行って聞いていらっしゃい」
「いくらするか」
「山の芋のねだんまでは知りません」
「そんなら十二円五十銭くらいにしておこう」
「馬鹿馬鹿しいじゃありませんか、いくら唐津(からつ)から掘って来たって山の芋が十二円五十銭してたまるもんですか」
「しかし御前は知らんと云うじゃないか」
「知りませんわ、知りませんが十二円五十銭なんて法外ですもの」
「知らんけれども十二円五十銭は法外だとは何だ。まるで論理に合わん。それだから貴様はオタンチン・パレオロガスだと云うんだ」
「何ですって」
「オタンチン・パレオロガスだよ」
「何ですそのオタンチン・パレオロガスって云うのは」
「何でもいい。それからあとは――俺の着物は一向(いっこう)出て来んじゃないか」
「あとは何でも宜(よ)うござんす。オタンチン・パレオロガスの意味を聞かして頂戴(ちょうだい)」
「意味も何なにもあるもんか」
「教えて下すってもいいじゃありませんか、あなたはよっぽど私を馬鹿にしていらっしゃるのね。きっと人が英語を知らないと思って悪口をおっしゃったんだよ」
「愚(ぐ)な事を言わんで、早くあとを云うが好い。早く告訴をせんと品物が返らんぞ」
「どうせ今から告訴をしたって間に合いやしません。それよりか、オタンチン・パレオロガスを教えて頂戴」
「うるさい女だな、意味も何にも無いと云うに」
「そんなら、品物の方もあとはありません」
「頑愚(がんぐ)だな。それでは勝手にするがいい。俺はもう盗難告訴を書いてやらんから」
「私も品数(しなかず)を教えて上げません。告訴はあなたが御自分でなさるんですから、私は書いていただかないでも困りません」
「それじゃ廃(よ)そう」と主人は例のごとくふいと立って書斎へ這入(はい)る。細君は茶の間へ引き下がって針箱の前へ坐る。両人ふたり共十分間ばかりは何にもせずに黙って障子を睨(にら)め付けている。
(以下略)
1987(昭和62)年9月29日第1刷発行)
ミストラの学者たち
平凡社大百科事典を読む楽しみの一つが、思いもかけない執筆者に出会うことです。
おそらく小説を書き出す前の時代の池澤夏樹がギリシアの地名項目、「ミストラ」を執筆しています。
(ほかにも、地名項目や現代文学者の項目を執筆しています)
「ギリシア旅行案内」(川島重成、1995、同時代ライブラリー、岩波書店)にはないが、補筆・改題された「ギリシア紀行」(2001、岩波同時代文庫)には追加されたのはアンナさんの写真だけではない。
ミストラに関わる学者人名として、新プラトン主義の哲学者「プレトン」、カトリック枢機卿になったビザンティンの人文主義者「ベッサリオン」の項目が平凡社百科では立項されています。カトリック新大百科も同様です。ほかにも外交官の「マヌエル・クリソロス」、文法家「コンスタンティノス・ラスカリス」などがいるようですが、これらの項目はキリスト教人名辞典で見ることができます。
日本語で読めるベッサリオンについての記事はレイノルズ&ウィルソン「古典の継承者たち」が平凡社百科、カトリック新大百科、キリスト教人名辞典などの事典類の記述よりも詳しいようです。事典類が字数制限のためか通り一遍の記述であるのに対し、東西両教会の合同の神学的根拠についての主張を紹介しているところが読めます。
英語だとナイジェル・ウィルソン「ビザンティンからローマへ」のほか、ゲネアコプレス(?Geanakoplos, Deno John)が気になりますが、イタリア語圏やドイツ語圏ではしっかりした研究書もあるようです。井上浩一氏の著作をみればかなりの見通しがたつのではと期待しています。
「ビザンツ皇妃列伝―憧れの都に咲いた花」
2013.09.24 行程
2013/09/20
裕福なコリントの若者ーーーあるいは短いobituaryと長いepic
「ハルパリンが討たれたのを見て、パリスは激怒した。数あるパラゴネス人の中でも、彼には特に親しい友人であったからで、その死に憤激したパリスは、青銅の鏃の矢を放ったのであるがーーーここのエウケナルなる者がいた、占い師ポリュイドスの子で、裕福で勇気もあり、コリントスに住んでいたが、恐るべき死の運命の訪れるのをよくよく承知の上で、海を渡りこの地に来た男であった。それは常々彼の立派な父、老ポリュドイオスが、お前は自分の屋敷で辛い病いのために身を弱らせて死ぬか、またはアカイア勢の船陣トロイエ勢に討たれるか、そのいずれかである語っていたからであるが、されば彼は辛い想いをするのが厭さに、アカイア方から取り立てられる罰金と、苦しい病のどちらをも避けようとしたのであった。さてパリスはそのエウケノルの顎と耳の下あたりに矢を撃ち込み、たちまち命は彼の肢体を離れ、忌まわしい闇が彼の身を蔽った。」
人間として得られる最善のもの、あるいはアルゴスの二人の兄弟の物語
アルゴスでヘラ女神の祭礼のあった折りのこと、彼らの母親をどうしても牛車で社まで連れてゆかねばならぬことになりました。ところが牛が畑に出ていて時間に間に合いません。時間に終われ、二人の青年が牛代わりに軛(くびき)に就いて車を曵き、母を載せて四十五スタディオンを走破して社へ着いたのでございます。祭礼に集まった群衆の環視の中でこの仕事を成し終えた兄弟は実に見事な大往生を遂げたのでございます。神様はこの実例を持って、人間にとっては生よりもむしろ死が願わしいものであることをはっきりとお示しになったのでございました。
城壁を固く備へしチイリンス
アテーナイ人水陣を据へし傍かたへに整へぬ。
アルゴス及び城壁を固く備へしチイリンス、
深き港灣含みたるアシネー及びヘルミオネー、 560
トロイゼーンとエイオナイ、エピドーロスの葡萄の地、
領する種族、更に又アイギナ及びマーセース、
領する若きアカイア族、率ゐる將は大音の
ヂオメーデース、又次ぎてカパニュウスの子ステネロス。
祖父はタラオス、王たりしメーキストを父として、 565
勇武さながら神に似るユゥリュアロスは將の三、
されども高き音聲のヂオメーデース全隊を
統べたり、黒き八十の軍船彼等に附き來る。
2013.09.20 行程
2013/09/18
ヘリコーン山の東斜面
Martin L. West
The east face of Helicon : west Asiatic elements in Greek poetry and myth(1999, OUP)
という興味深そうなタイトルの本があります。また、同じ著者に
Indo-Euro Poetry and Myth(2007, OUP)
というのもあります。なんだかヘリコーン山の東麓では何かしら面白そうなことが起こっているのかもしれません。
http://www.amazon.co.jp/The-East-Face-Helicon-Elements/dp/0198152213/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1381131740&sr=1-1&keywords=The+east+face+of+Helicon
http://www.amazon.co.jp/WEST-INDO-EURO-M-L-West/dp/0199280754/ref=sr_1_fkmr1_3?s=english-books&ie=UTF8&qid=1381131619&sr=1-3-fkmr1&keywords=%22Martin+L.+West%22++myth
「ヘリコーン山の東斜面」について言及した書籍に気がつくことはありませんでした。
例外的に、マーティン・バナールの「黒いアテナ」の一連の著作の最後(?)「批判に答える」(2巻)中、何ページかにわたる言及があったように記憶します。
印欧語族の神話や儀礼との類似を指摘されても読者としては、ああ、そうですか、という他ありません。
ところで、マーティン・バナールの評価ってどうなんでしょう。
三叉路の場所(?)
その場所を巡って、フレーザー=川島説のほかにも、馬場説などもあるそうですが、いまは議論の詳細をフォローすることができません。宿題にしていずれゆっくり。
(1)
James Gerge Frazer
Pausanias's Description of Greece
6 Volume Set (Cambridge Library Collection - Classics)
http://www.amazon.co.jp/Pausaniass-Description-Cambridge-Library-Collection/dp/1108047297/ref=sr_1_8?s=english-books&ie=UTF8&qid=1381126100&sr=1-8&keywords=Frazer+Pausanias%27s+Description+of+Greece
J.G.フレーザーによるパウサニアス「ギリシア記」の英訳と注釈。
リプリントは安くはないですが入手可能です。電子データもてにはいるようです。1889頃の著作で、金枝篇初版の刊行と相前後しているようです。安楽椅子人類学者の際たるものと呼ばれていたフレーザーですが、ギリシアは旅行したようです。三叉路に立ったのかどうかは未確認。
(2)
馬場恵二「スキステ街道(Schistê Hodos)-オイディプウス伝説と中部ギリシア内陸・湾岸交通路-」『駿台史学』(第81巻pp191〜211、1991年)。
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/handle/10291/6087
オンラインで読むこともできます。
2018.09.18 行程
2013/09/17
ペロポネソス戦争 アテーナイ戦没者の国葬 ペリクレスの演説 トゥーキュディデース戦史2.40.1〜
(トゥーキュディデース著、久保正彰訳「戦史」2.40.1〜、)
ペロポネソス戦争 アテーナイの疫病 トゥーキュディデース「戦史」2.52
ペロポネソス戦争 民議会でのペリクレースの演説 トゥーキュディデース戦史1.139〜
ペリクレス
〖Periklēs〗ペロポネソスせんそう
【 ━ 戦争】丘の上の民主政(書籍)
2013.09.17 行程
2013/09/16
ヘロディオン・ホテル屋上からアクロポリスを望む
2013.09.16 行程
2013/09/15
2013.09.15-09.26 書籍と旅行
2013.09.15-09.26 日程表
日程の記録は、この旅行をご一緒させていただいたNK氏が作成されました。
この記録がなかったらとっくにあきらめていたことでしょう。
あらためて感謝もうしあげます。
2013.09.15-09.26 ギリシア旅行